その日を境に、当たり前だった生活が一変しました。
東日本大震災を経験した私は、「防災とは何か」を改めて考えるようになりました。
避難所には行きませんでしたが、電気のない生活が2週間ほど続いた日々は、想像以上に厳しいものでした。
今振り返って思うのは、防災とは「物を揃えること」だけではなく、
想像力を働かせて備えることではないかということです。
この記事では、私の実体験をもとに、今だからこそ伝えたい防災の考え方と備えについてお話しします。
防災とは「想像力」だと思う理由

私は、東日本大震災を経験しました。
当時、仕事先から急いで自宅に戻ると、「水が止まるかもしれない」という思いが頭をよぎりました。
慌ててヤカンや鍋、お風呂に水を溜め始めました。
すると、溜めている途中で水の勢いがだんだん弱くなり、やがて止まってしまったのです。
当時の我が家には、ペットボトルの水を備蓄する習慣はありませんでした。
それでも、とっさに溜めた水のおかげで、トイレや最低限の生活用水、飲み水に困ることはありませんでした。
一方で、想像できていなかったのが「ガソリン」です。
すぐにガソリンスタンドへ向かいましたが、いつも利用しているスタンドは地震に寄る機械の故障で給油できませんでした。
振り返ると、他のスタンドを探さなかったことは大きな反省点です。
さらに、3月とはいえ雪が舞うほどの寒さ。
寒い時期の災害では、暖を取る備えも欠かせないと痛感しました。
灯油やホッカイロなどの準備も、防災の大切な一つだと感じています。
現在は、ガソリン価格の変動も意識しながら、できるだけ常に満タンを心がけています。
この経験から、防災とは“起こりうることをどこまで想像できるか”だと感じるようになりました。
電気のない2週間で感じた現実

停電で電気が使えない生活は、想像以上に不便なものでした。後から聞けば、停電にならなかった地区もあったらしいのですが・・・
ろうそくの明かりだけでは暗く、本を読むこともできません。
結局、何もできないため、暗くなると自然と早く眠るようになりました。
ラジオはありましたが、電波が入りにくく、思うように情報が得られません。
携帯電話の充電も減っていくばかりで、不安は募る一方でした。
電気のありがたさを、これほど強く感じたことはありません。
近くに住む実家の母も一緒に、息子と3人で過ごしました。
スイッチが取れかけたストーブに頼りながら、同じ部屋に布団を敷いて眠る日々。
それでも、ストーブがあったおかげでお湯を沸かすことができ、簡単な煮炊きもできたのは本当に助かりました。
家族の無事を伝えたい一心で、公衆電話を探して連絡を取ったことも忘れられません。
スーパーに行った時の光景にも驚きました。
店内は天井材が落ちて営業できず、外の駐車場での販売となっていました。
「パンは3個まで」「缶詰は○個まで」
そんな制限のある中での買い物。
レジも使えないため、購入した品物をノートに書き、電卓で計算するという対応でした。
商品がなくなっても次が入ってくる見込みはなく、「今ある分だけ」の販売。
冷凍庫の食材も、急いで消費しなければならない状況でした。
普段は当たり前に使っている電気や流通が、どれほど私たちの生活を支えているのかを思い知らされました。
避難所に行かなくても大変だったこと

近所では、避難所に行った人はそれほど多くなかったようで、私たちも自宅で過ごす「在宅避難」を選びました。
お隣に住む母と同年代の方とも、時々声をかけ合いながらの生活でした。
我が家は、お風呂に水を溜めていたこと、そして水漏れなどの被害がなかったことで、トイレに困らずに済んだのは本当に助かりました。
また、ガスが使えなかったのですが、実は故障ではなく、安全装置であるマイコンが作動して止まっていただけでした。
水をもらうために公園に集まっていた時、近所の方に教えていただき、マイコンのボタンを押すことでガスが復旧したのです。
「知らないだけで使えないものがある」ことに、その時気づかされました。
まだ知らない方も多く、私も教えてもらったことを他の方に伝えました。(少し得意な気持ちになりながら…笑)
警報が鳴るたびに、寝ていても3人同時に目を覚まします。
ぐっすり眠ることができず、横になっていても寝不足が続く毎日でした。
食べ物については、お米があったことで何とかしのぐことができましたが、やはり日頃からの備えの大切さを感じました。
また、母が買い置きしていた食品や灯油が役に立ち、「買いすぎはよくない」と一概には言えない面もあるのだと実感しました。
今回はトイレが壊れなかったのは幸いでしたが、防災用トイレの備えも必要だと強く感じています。
東日本大震災を経験した当時は、「こんなことは二度とないかもしれない」と思っていました。
しかし最近も地震の警報が鳴るたびに、決して油断してはいけないと感じています。
現在は、ペットボトルの水は消費期限を確認しながら備蓄し、食品についても少しずつ準備を進めているところです。
在宅避難でも、備えがあるかどうかで安心感は大きく変わると実感しました。
今だから見直したい防災の備え

カタログギフトをいただいた際には、防災用品を選ぶようにしています。
懐中電灯や電池、缶詰なども用意していますが、気をつけていないと食品は消費期限が切れてしまいます。
そのため、普段から食べているものを少し多めに買い置きし、使いながら補充する「ローリングストック」を心がけています。
防災は特別なことではなく、普段の生活の延長でできることが大切だと感じています。
水は常にストックし、停電時にも使えるようにストーブも買い替えました。
また、避難所での生活も想定し、着替えの際に役立つようゴムの入ったスカートを防災用品に入れています。
さらに、家庭菜園の野菜も、買い物ができないときの助けになるのではないかと思っています。
最近では、100円ショップでも防災用品が手軽に手に入るようになりました。
大切なのは、「何が必要か」を自分の生活に照らして想像することだと思います。
そして、どんなに準備をしていても、いざという時には人との助け合いが欠かせません。
だからこそ、日頃から隣近所の方とのコミュニケーションを大切にしていきたいと感じています。
想像力を働かせることで、防災はもっと身近なものになるのだと思います。
まとめ:防災は「想像すること」から始まる

防災は、「何が起きるか」を想像しながら準備することが大切だと、私は感じています。
東日本大震災の時、激しい揺れの中で「水道が止まるかもしれない」と思い、わずかな時間の中でお風呂や鍋、やかんに水を溜めました。
実際に水は止まり、その時の判断に助けられたことを今でも覚えています。
水があれば、お湯を沸かすこともでき、みそ汁など温かい食事もとることができます。
最近では、おさかなソーセージなど常温で保存できる食品を常備し、缶詰や乾物とあわせて備えるようにしています。
「もし電気が止まったら?」
そんなふうに具体的に想像することが、備えにつながるのだと思います。
また、当時は原発事故の影響もあり、さまざまな情報が飛び交いました。
「窓を開けると危ない」といった真偽の分からない情報にも不安を感じ、窓を閉めて過ごしたこともありました。
だからこそ、正しい情報を見極めることの大切さも強く実感しました。
地域によっては津波など命に関わる判断が必要になる場面もあり、情報は行動を左右する重要なものです。
日本に住んでいる以上、地震はどこで起きても不思議ではありません。
地震そのものを防ぐことはできませんが、想像力を働かせて備えておくことで、不安を少しでも減らすことができるのではないでしょうか。
日常の中でできる小さな備えを、これからも続けていきたいと思っています。
備えは特別なことではなく、“想像すること”から始まるのだと、私はあの経験から学びました。
ある晩、布団の中で、固定電話が「ピン」と鳴った音で目が覚めました。
その瞬間、「電気が復旧した」と、私と息子は同時に飛び起きました。
すぐに蛍光灯のスイッチを入れると、部屋にぱっと明かりが広がりました。
電気がつく――ただそれだけのことが、こんなにも嬉しいと感じたのは初めてでした。
あの時の明るさを思い出すたびに、当たり前の暮らしのありがたさと、備えることの大切さを感じています。



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