誕生日や母の日が近づくと、娘たちは「何か欲しいものある?」と聞いてくれます。気持ちはとても嬉しいのですが、いざ聞かれると「これ!」というものがなかなか思い浮かばないことも。
贈る側も「何をあげたら喜んでもらえるのか」と悩みますよね。
そんな私が最近、改めて感じるのは――
「プレゼントも嬉しいけれど、一緒に過ごす時間が何よりの贈り物」 ということ。
この記事では、70代の母である私が実際にもらって嬉しかったもの、そして、物を増やさず気持ちが伝わるプレゼントや、家族と過ごす時間の中で感じた幸せについて、本音でご紹介します
70歳の母が感じた「プレゼント選びの難しさ」

孫へのプレゼントは、娘に相談しながら選ぶのがいつもの流れですが、昨年の娘の誕生日に贈りたかったガラスのグラスは、まだ実現できていません。本当に気に入るものを探したくて、いまだに「これだ!」という一品を見つけるために探し続けています。
プレゼント選びは難しいけれど、相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら、いろいろなお店を見て回る時間はとても楽しいものです。
そんな私ですが、先月の誕生日、娘に「何か欲しいものはある?」と聞かれたときには、すぐに思いつきませんでした。でも最近、よく歩いたりジムで筋トレをしているので、スニーカーもいいかもしれません。あるいは、自分ではなかなか買わないようなちょっと特別な食品も嬉しいかも……。
美味しいスイーツや1ランク上の食事のお供、そして毎日ジムで使えるスニーカー。せっかくの機会なので、今年の母の日はそんなプレゼントをリクエストしてみるのもいいかな、と考えています。

モノよりも心に響いたプレゼント

先月の誕生日、娘からの電話で「何か欲しいものはある?」と聞かれ、しばらく考えていると、電話口から「おもちゃ!」と元気な孫の声。次に「ゲーム!」と続き、小学生の孫がいたずらっぽく自分の欲しいものを次々に言い始め、思わず笑ってしまいました。
「ばあばは、ゲームしないでしょ?」と娘がたしなめても、孫は「でも楽しいよ!」とさらに押し続け、私も「じゃあ、おばあちゃんにぴったりのゲームがあるかしら?」なんて冗談で返してみたり。こんな何気ないやりとりが、とても楽しいものです。
新幹線に乗れば2時間ほどで会いに行けますが、こうして電話越しに孫たちの元気な声を聞くだけでも、心が温かくなります。画面越しではなく、音だけで伝わる声の弾みや、ふとした間の取り方に、その時の孫の表情まで想像できる気がします。会えなくてもつながっている、そんな嬉しさを感じるひとときです。

母の日の過ごし方を変えてみる提案

今年の母の日は、5月11日だそうですが、プレゼントをもらえるのはもちろん嬉しいけれど、それ以上に、一緒に過ごす楽しい時間が何より貴重だと感じています。
娘や息子が小学生の頃、手書きの『肩たたき券』を作ってプレゼントしてくれたことがありました。小さな手で一生懸命書いたその券は、もったいなくて使えず、ずっと裁縫箱にしまっていたほどです。最近まで大切に取っておいたのですが、息子に「もう使えないし、いい加減捨てたら?」と言われてしまい、「え~、使えないの?」と冗談を言いながらも、泣く泣く処分しました。
また、子供たちは学校帰りに、あぜ道に咲いていた花を摘んできてくれたり、学校で習った歌を一緒に歌ってくれたりしました。その無邪気な姿が、今でも鮮やかに思い出されます。
そんな思い出があるせいか、孫たちが保育園で覚えたダンスや、学校で習った校歌を楽しそうに歌ってくれた時も、自然と嬉しい気持ちになりました。子供の頃の娘や息子と重なり、あの頃と変わらず、こうして家族と過ごせる時間の大切さを改めて感じました。
プレゼントももちろんありがたいけれど、それよりも何よりも、家族が元気でいてくれること、一緒に笑い合える時間こそが、一番の宝物だと感じるこの頃です。

まとめ:写真で思い出を振り返る

先月、娘の家に行った時、孫たちは私のスマホに入っていた写真に夢中になり、「これ、誰?」「赤ちゃんのときの僕?」と興味津々。さらにフォトブックまで取り出し、自分たちの赤ちゃんだったころの写真や、娘たちの結婚式の様子を見ながら、楽しくお喋りしました。
「パパたち、若い!」と大笑いしたり、お食い初めや七五三など、成長の節目の写真を見て「こんなことしたんだね」と驚いたり。自分のことなのに知らなかった様子がたくさんあったようで、次々にページをめくりながら、思い出話に花が咲きました。
こうして一緒に写真を見ながら話す時間は、とても楽しく、心が温まるひとときでした。
母の日のプレゼントとして、今までの写真を集めたフォトブックを贈るのも素敵かもしれません。思い出を形にして、家族みんなで振り返る時間をプレゼントする――そんな贈り物も、きっと喜ばれるのではないでしょうか。
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